説明不足がコドモのストレスを生む
2016/11/10
■朝のお勉強での出来事
我が家は幼児教育の一環としては毎朝お勉強をしてます。
そして今朝の時間に余裕があったのでや切り絵を一緒に作り、色々切ったり貼ったりしながらのお絵かきなので楽しかったのです。
しかし私がこのピンクの船を折り紙ど折る係になった際、以下写真にある説明書を読みながら取り組んだのですが、行程⑨の「カドをつまんで引き出す」が最後までできず、諦めて⑩から先を見て適当にやったら出来上がりました。
私は単純にマニュアル通りやりたかったのですが、〝かど〟というところがどこなのか?〝ひっぱる〟という行為が何を指示しているのかを図から読み取ることができませんでした。
そのためこの折り紙を完成せるのにすごく苦労して10分以上かかってしまいました。
■経験は当たり前?
このことについて、後から部屋に来たママに事情を説明して、実際に折り紙を折ってもらい実際に目視して説明書の理解をすることができました。
その結果、「がど」ではなく「先端」だったり、「ひっぱる」という行程は二ヶ所あったりと、色々と説明が省略されていることに気づきました。
またママは、そもそもこの折り紙を知っていたため説明書の手順を飛ばして作っており、私が説明書の内容を理解したいという意図を伝えたことにより⑨のプロセスをようやく理解できました。
もう一度説明書を確認。
私は折り紙を全くやったことが無いので、過去の経験をいかすこともできず、いくつか⑫や⑬を見てから帰納的な発想で完成させている。
そしてママは言いました。
「私は折り紙を知っているから」
どうやら折り紙業界の〝前提条件〟だったり、折り紙プレイヤーの中では〝当たり前〟のことを知っているらしい。
それって、説明書として成り立っているのでしょうか?
■コドモに常識は通じない
私は折り紙においては素人、つまりコドモと同じ知識しかありせん。
これをコドモの行動や人生に置き換えたらどうでしょう?
「ちゃんと片づけなさい!」
「ごはんはゆっくり食べて!」
「お兄ちゃんなんだから!」
このようなメッセージをコドモが受け取ったとき、親が目指す行動の通りにならないことがあります。
これって言葉の背景を翻訳してみるとこんな感じでしょうか?
「ちゃんと片づけなさい!」
→決められた場所へ綺麗に間違いなく収納して作業を終わらせることを望んでます。
「ごはんはゆっくり食べて!」
→ごはんはよく噛んで、一つ一つ丁寧に食べることが良いです。その理由として、早く食べると喉につっかえる可能性が高まり、また不十分な咀嚼のまま胃へ運ばれると消化に良くない。また脳が豊満感を得るスピードと摂取食事量のバランスが悪くなり食べ過ぎにつながる恐れがある。そのため、ごはんをゆっくり食べることは最善の策であるため厳守してほしい。
「お兄ちゃんなんだから!」
お兄ちゃんとは、年下の人と比べ道徳的振る舞いが長けていることが社会通念上常識となっており、集団生活を進める上で厳守しなければいけない暗黙のルールがある。
またそのルールは年齢を増すごとにそのルールは追加されるため、過去の自分と比べ良い行いをすることは絶対である。
また、兄弟・姉妹がいて尚且つその存在感が年下である場合は、その存在以上に道徳的振る舞いをすることが親として望ましい。
そのため、自己の置かれている立場や良識の範囲を踏まえ行動をしてほしい。
いかがでしょうか?
ちょっと大袈裟に訳してみましたが、このような考えてを親は〝前提条件〟〝当たり前〟としてメッセージを伝えているし、またこのようなことを正確にとまで言わずともにコドモに教育をして理解させたことが無い限り行動は成立しないのではないでしょうか?
■先ずはお手本からのコーチング
一旦私の折り紙話に戻します。
私はママがお手本を見せてくれた事で全てを理解し次に続けることができました。
またママが来るまでの間や、行程⑨で立ち止まっているときは物凄いストレスが発生し、その規模は過去最大級と思うぐらい嫌な気分を感じました。
しかし大人なので〝第三の方法〟を考えたり、〝こんなことに負けたくない〟という〝グリット(やり抜く力)〟が完成できた要因だと考えられます。
しかしコドモは〝第三の方法〟も〝グリッド(やり抜く力)〟を生み出すことが難しいですし、ストレス反応は大人以上に強いはず。
そのため、親は子供に正しい〝躾〟を身につけたいならない〝ちゃんと〟〝ゆっくり〟〝親として当たり前〟で在り続けなければならない。
もしこの意味が分からないのであれば、先ずは親が学習することをオススメします。