子育てを、交差点の先へ
想像してみてください。
あなたは今、急いで待ち合わせ場所へ行くため、スクランブル交差点を渡ろうとしています。
またとても急いでいるため、これから全速力で走って渡ります。
そして信号が変わりました。
あなたはいの一番に飛び出し、前から向かって来る人、横や斜めに歩いて居る人を縫うように見事スクランブル交差点を渡りきりました。
このとき、あなたはどのような能力を使い、どのような感覚をもとに行動していたでしょうか?
またこのような行動は、今の最先端技術やAIを駆使したマシンでは実現不可能であり、人間の持つ『空間認知能力』がAIの処理能力をはるかに上回る認知と行動を生み出した結果です。
また複数のモノゴトを頭の中で同時に処理し、予想確率をもとに、また突発的な状況を素早く確認し判断しながら、ルートとスピードを調整してスクランブル交差点を渡るという目的を達成させました。
■時代はスクランブル交差点の中へ
そして、我々大人がこのような条件反射的にかつ『マルチタスク』的な行動、予想不能な状況下での『意志決定』ができるようになるために、どのような教育や経験を得てきたでしょうか?
またうまくできる人とできない人の差はどこにあるのでしょうか?
正直、私には具体的に説明するだけの知識を有しておりませんが、一つのアイデアとして、具体的には誰かから学んだわけではなく、成功と失敗の繰り返し、自然にカラダで学んできたと私は思ってます。
またこれからの時代、我々大人が想像すらできない複雑なスクランブル交差点をわたるような状況判断や人生の選択は多々あると考えられ、今まで以上に素早く重要な選択と対応を迫られる時代が来るのではとも私は思ってます。
■カラダで学ぶことの大切さ
最近、“ヘリコプターペアレント”という言葉があるように、コドモに考えさせることや選択肢を与えず、『マルチタスク』や『意志決定』する能力を重要視していない子育てが話題になってます。
私の周りにもそのような子育てや、結果として『優柔不断』や『判断力が弱い(自分では決められない)』、限られた時間のなか、交差点のど真ん中で立ち往生するようなコドモに育ってしまった事に後悔している親からの相談が来ます。非常に悩ましい問題です。
少なからず、人は経験しないと学べないので、失敗してでも、交差点の中で人にぶつかってでも、最後まで渡りきる・やり抜く力(グリット)ことを学ばせるべきだと私は思ってます。
また【ゲーム】は『マルチタスク』や『空間認知能力』を鍛えれられる知育玩具であり、あわせて非現実的なモノゴトを学び経験を得るツールとして有効なモノだと思ってます。
■まとめ
ここまでの話で、色々うんちくを並べ持論をお伝えしましたが、要するにAI時代を生き抜く子育てにおいて、ゲームぐらいは緩めに遊ばせること、またゲームを通じて学ばせることが色々近道だと思っております。
ゲームだと、一緒に楽しめますしね。
また何でもゲームにするとコドモの意欲は高まるので効果的ですしね。
そして私と同じように、今後スクランブル交差点をみる度に今回のネタを思い出してみてはいかがでしょうか?