躾や教育にえける企図と期待獲得勝率のゆくえ
認知科学や心理学の世界では、いろいろなことのチャンク(捉え方の尺度)を変えて事象検証をしますが、今日は「企図(キト)」という事象について考察を深めつつ、教育や躾における企図につこのてみようと思います。
しかしながらまず皆、「企図」という言葉をご存知でしょうか?
コトバンクには以下のように書かれています。
[名](スル)あることをくわだてること。また、その内容。もくろみ。
これ簡単にいうと「○○をやろう!」と思いつくことなんですか、似たような言葉の「意図」と意味を分けると、企図はどちらかというと考えるだけというニュアンスや、悪くなる可能性を含めた言葉でしょう。
ちなみに、企てるは以下の意味です。
たくらむこと。くわだて。多く、よくない計画をいう。
使い方の例を出すのであれば、
「野球監督が試合中、盗塁を企図して走者に指示を出した」
というように、ある人にとって「良かれと思った判断」とも言い換えられるでしょう。
■子育てと企図
子育てにおいて、親が子供のために指示を出すことは企図する行為と言えるでしょう。
この企図において、多くの場合「良かれと思って」指示を出しているでしょう。
しかしこの「良かれ」とは、何にとっての、また誰にとっての「良かれ」でしょうか?
特に、親の気持ちがマイナスだったり、子供が劣性だと感じたとき、悪い企図がうまることが多くあり、成功確率が低いのにもかかわらず、その確率を見誤って(成功確率を値上げし高く評価して)判断を下すケースが多いということで、要するに〝マイナス状況(または不利な状況)における企図の多くは親のみの意図やエゴが多く、またマイナスを取り戻す【損失回避】において、成功する確率が低い選択をしやすい〟ということです。
■何のための企図
企図の結果はあくまでも確率であり、低い確率でも〝空気〟を変えるためにチャレンジことも必要かも知れません。
また「人は失敗をしないと学べない」というような言葉があるように、いま目の前で失敗しても将来につながるというケースも多く、一度や二度の失敗により企図をしない(諦める)ことや、さらに成功確率が低くなる企図をするべきかの判断は慎重に進めることが大切です。
親の気持ちやエゴで企図しない。
このような心のブレーキを持ち備えれば、子供への強制的な指示や虐待が減るのではと最近思った、長ったらしいボヤキでした。