社会との距離感~ソーシャル・ディスタンス~
何かを比べるとき、他との違いや個々の特徴を理解するには、前提となる基準や状況を把握するための知識、強いていえば洞察力や把握力、表現力なども必要になるかどうかと思います。
そして、これら『客観的思考』が養われるとさせる小学校高学年(10歳から12歳)において、どのような〝モノサシ〟を使い学習を進めるのか、またどのようなコミュニケーションを積み重ねることが有益であるかを親としてコントロールすべきかと日々考えている中、コロナ禍という状況が発生し、色々な意味でソーシャル・ディスタンスについても学ばなくてはならなくなりました。
■ソーシャル・ディスタンスにおけるルールとは?
『客観的思考』とはある意味【合理的思考】であり、また基準となる〝ルール〟に則った判断はゼロイチ含め【定量的判断】であるだと考えられる。
このルールを日本に直すと【規則】となり、意味は『それに基づいて行為・手続き・操作が行われるように定めた規準。きまり。おきて。』です。
またルールには【規制】という役割があり、この規制を日本にすると『特定の目的のためにルールを設け物事を制限すること』である。
そして、ここでいう〝特定の目的〟何かを理解しないとルールを守ることへの意味や意欲を理解できず、ルールを守らない人が発生すると考えてられます。
■ルールとマナーの見極め方
そして、ルールと一緒に考えられるモノはマナーで意味は『行儀・作法』。
この『行儀・作法』とは、法律などで制定されていない【暗黙のルール】であり、よく見かける『ルール(規則)は守っているがマナー(行儀・作法)が悪い』という状況ではルール違反と同じく社会的な批判対象となるケースが多いです。
そう、どちらも結局ルールはルールなので、どちらも【社会】においては守らなければいけないことであり、他者との物理的・心理的なソーシャルディスタンスとなるわけです。
またこのルールとマナーを【定量的判断】に置き換えるのであれば、ルールは《±0:ブラスマイナスゼロ》を保つ目的であり《-:マイナス》を抑えるための規則と考え、マナーは《+α:ブラスアルファ》を得るための〝オプション〟と考えられないでしょうか?
またルールとは最低水準で、多くの人が守れることが必要、誰にでもできることであり、マナーはオプションであるから、知識や社会と自分の距離感がわかっていないとできないこと、マナーを尽くすことで最高基準に達せられるようになるかと思います。
■子供への教え
今まで述べてきたルールやマナーの考え方について、あくまでも私自身の捉え方ですが、社会や国のルールに対して何らかのブレない〝モノサシ〟や〝持論〟を持って判断する事は必要であり、その親の判断基準がコドモにも大きく影響を与えると考えられます。
そして、今回の記事で伝えたかったことしては『コドモが知能として善悪や真偽の判断を養う時期に、親の主観的な判断やストレス過多における偏見などを教えることは将来に影響を与える』という内容について、私の主観を述べたという回りくどいお話です。
コロナ過でコドモもストレス過多ですし、暇で観ているワイドショーも偏見多いですし、こういう時にこそ〝空気を読んだ〟超客観的・超合理的思考が必要ですね。