泣くしかできない赤ちゃんが学んでいる2つのこと Part.2【子育て科学】
2016/07/27
前回のPart.1では、泣く理由と合わせて赤ちゃんが本能的に学んでいることを2つ紹介しました。
そして今回は赤ちゃんの学習能力やコミュニケーション手法を軽視した場合、その後の成長や人生にどのような悪影響を及ぼすかについて知り得た限りの情報をお伝えします。
■疲れては泣き止まない
先ず、時々耳にする言葉で「泣き疲れる」という考えを持っている人がいます。
これは泣くことも体力を使うからという考えを元にしていると思いますが、実際は訴えても解決できないから「諦めて寝る」が正解のようです。
この理由、よく考えると当たり前のことで、例えば大人が誰かに助けを求めたり文句を言うようなメッセージを送ったとして、その後疲れたからと言ってそのメッセージを止める(取り消す)ってことはないと思います。
まぁ赤ちゃんなのでその過程で疲れて寝てしまうことはあると思いますが、重要なのは解決してないということと、努力が報われなかったことが心に残ること。
つまり、大人の言い方に変えると「ストレスを溜め込んだ」というかたちになります。
赤ちゃんに限らずストレスが身体に良くないことは当たり前のことで、日々成長中の赤ちゃんに置いてはもってのほかです。
この問題、以前の記事でもストレスは非認知能力を司る前頭葉の成長に影響を及ぼし、ワーキングメモリーの発達が未熟になり、この影響一生涯引きずるともお伝えしました。
また教育心理学の観点では、乳児が泣いたとき、それに構わず放置回数が増えると次第に「無気力感が獲得される」と言われております。
この無気力感とは、自己効力感(やる気)の反対意味で、簡単にいうと「やる気が出ない(持てない)」状態。
教育心理学では無気力感を持ってしまうと簡単には自己効力感(やる気)を持てないと、無気力感を手放させることは一時的な非常に難しいとされています。
理由として、自己効力感(やる気)はモノで釣ったり罰を回避するといった理由で一時的に高められるが、このようなことをしても根底にある無気力感はなくならないですし、経験あると思いますが興味なかったり意味ないと思っていることにやる気を出せと言われても出るハズがない。
つまり、何度もやったけどダメだったことに再チャレンジするには〝別の価値〟を持たない限り労力の無駄だと本能的に思ってしまうワケです。
■無気力感を持たせない方法
先に言っておきますが、今回は赤ちゃんにフォーカスしているので無気力感を手放させる方法は一旦おいておきます。
その上で、無気力感を持たせない方法を考えるため、まず赤ちゃんが学習している2つのことを思い出してください。
【1】 コミュニケーション相手の感情と表情から、その人の品質を学んでいる。
【2】 自分のチカラの影響力と自己効力感を学んでいる。
そしてここから、ストレスを与えないことや諦めてさせないことを避けるのが最重要事項なので、以下2つとなります。
① 心から奉仕や献身的な心を持って対応する。(良い品質で接する)
② 赤ちゃんの要求を最後まで対応する。(完了したことを理解させる)
この2つ、正直キレイ事ですよね。
理論だけで理想を追求するとまぁこんなモノで、①に関してはいつでも100%で対応する事はできませんし、②に関しては要求を100%理解する事はできない。
そのため、脅しておいて恐縮ですが100%を目指さなくても〝心得〟を持って接することが重要だと思います。
また「望ましくない対応」は、回数にもよりけりらしく、何らかの手違いやそのタイミング仕方がないなど、後日や別のタイミングでフォローできれば問題ないようです。
ただ、〝度が過ぎる〟と最悪の事態に進んでしまうことを忘れないでください。
■最悪の事態について
では、ここからは万が一を防ぐお勉強。
最悪の事態とは、いったいどのようなものなのか簡単に触れます。
先ず、赤ちゃんに限らず人は何かに対して要求が適わないと「諦めて」が発生し無気力感が蓄積されます。
そして、無気力感がある一定量を越えると「どうせ何をしてもダメだ」という次の段階〝無感情状態〟に陥ります。
このような状態は「すぐ諦める子」として症状があらわれ、そのうち何に対してもやりがいを見いだせなくなるうつ状態になります。
また〝学ぶ力〟が育たないので基礎能力が伸びず知能や能力開発も滞ります。
合わせてこれらは、そもそも愛情不足であるとも考えられるため、わざと意地悪をしたり悪事を働いて愛情を求めるような子になる可能性も高まります。
そのため、乳幼児期における無気力感の獲得は対ストレスや精神不安定という観点で成長へ大きな悪影響を及ぼす可能性があることを意識しましょう。
■免疫力とホスピタリズム(施設病)
また、赤ちゃんに限らず無気力感の獲得は身体の発育や免疫力低下につながると考えられています。
これは、やりがいや生きる目的を失った老人が急に老けたり病気になったりするのと同じ理論です。
そして、赤ちゃんに限っては〝ホスピタリズム(施設病)〟と呼ばれる危険な病気があります。
このホスピタリズム(施設病)とは、「何らかの事情により長期に渡って親から離され施設に入所した場合にでてくる情緒的な障害や身体的な発育の遅れなどを総称して言うもの」とWikipediaに書いてあります。
具体的には、人手不足の著しい施設へ預けたコドモに見られる発達の遅れと無気力・無感動状態をさし、このようなコドモ達は一般的なコドモと比べ死亡率が高く、風邪から肺炎を起こす確率も高いため、コドモへの対応不足が免疫力低下につながっていると考えられています。
またホスピタリズムは後から治すことは難しく、施設への預け入れ有無限らず、母親や親族の対応不足であってもホスピタリズムのような免疫力低下につながる可能性は高ます。
これまでの結論をまとめると、過剰過ぎるほど赤ちゃんには手厚く接することが良いという結論に導かれるようです。
しかし世の中には「甘やかし過ぎは良くない」とか「泣いたら抱っこの癖がつく」という考え方を持つ方もいます。
これらは特に【おばあちゃんの小言】みたいな浅知恵の育児介入者に多く、育った時代も環境も全く違うのにあたかも自分が正義かのように言ってくる科学的根拠皆無の経験則に見られます。
我が家では大丈夫なのですが、こういった類の話には聞くだけにしておきましょう。
また「甘やかし」については正直一理あるとは思いますが、それが全部で絶対ではないことと、困る時期は一時的なものなので問題ないとされています。
この理由として、例えば泣いたとき親の抱っこ回数が増えれば自分からの働きかけの有意性理解も早まり、結果として泣く回数は増えても泣く時間は次第に短くなる。
また次第に泣くとは別の手段を発達させることにつながるということです。
つまり、泣くことで自分が困っているという意思表示をするチカラが強まり、そのチカラに親が反応することで自信が身に付く。
また解決方法を得ることで知識(学習)が高まり、次第に泣かずに訴えることや自己解決する能力が身につくという流れです。
この一連の流れ、発達初期に「自分は環境へ影響をもたらすことができる」という行動経験を持つことは非常に価値があり、非認知能力が養われるため、例えば大きく(大人)になって失敗した場面に出会っても無気力感に陥りにくくなる傾向があるとの証拠が出てきています。
もしかしたら、モノを言えないコドモっていうのは泣いたときの対応がきっかけだったのかもしれませんね。
■全2回のまとめ
科学的根拠を色々調べると、泣くしかできない赤ちゃんは人生に必要なストレス耐性や自己効力感を学んでいることがわかりました。
また「三つ子の魂百まで」は本当だったということになり、おばあちゃんの小言は使えなくても、歴史ある先人の知恵は役立ちそうですね。
それと私は幼児教育における通説として、3歳までには運動神経、7歳までには非認知能力が決まるという教科書に習い、7歳までは全力で子育てするべきだと思い実行してます。
100点とは限りませんがね。