何でも乱横断するコドモと親
乱横断とは、横断歩道のない場所を横切ることで、数メートル・数分歩けば横断歩道があるのに、その手前で渡ってしまう横着な行為です。
道路交通法12条では、以下のように書かれています。
第1項
歩行者は、道路を横断しようとするときは、横断歩道がある場所の附近においては、その横断歩道によつて道路を横断しなければならない。
歩行者は、横断歩道の近くでは、横断歩道を渡ること。
第2項
歩行者は、交差点において道路標識等により斜めに道路を横断することができることとされている場合を除き、斜めに道路を横断してはならない。
歩行者は、スクランブル交差点以外では、交差点を斜め横断してはいけない。
要はサボリ
この乱横断、多くの人が罪の意識低く日々の生活において違反行為を繰り返しているでしょう。
また乱横断に限らず、小さな時間短縮や手間軽減のため、リスクの少ない法令違反を犯しているのも事実で、推測ですが、過去に罪を犯した(破った)経験がキッカケで、その後もルールをサボることが日常化してしまうことが根本的な原因かと思います。
ルールは何のため?誰のため?
話を少し乱横断に戻すと、高齢者における交通事故の7割近くが乱横断による過失で、また過去の判例によると、横断歩道を横断せず車などに衝突された歩行者の基本過失割合は、30パーセントと高い過失割合となってうるようです。
要するに私がいいたいことは以下2つです。
① 歳を取るほど軽犯罪率は増える。
② 被害者にも1/3以上の過失がある。
この2つの事柄を踏まえて、今一度自身の生活や育児への取り組み方を見直してみましょう。
またコドモは親を真似るし、親が世の中のルールだと思ってます。
コドモが親を諭して学ぶ
つい先日、私が電車に乗り遅れることを避けるため乱横断をしようと娘に提案したところ思いっきり却下されました。
そしてこのとき、目の前の欲求に我を忘れていた行動に気付かされ、心がホームポジションに戻り、娘の意見を取り入れ目的地より遠ざかる30mほど先の信号まで歩き、そこから戻ってきて目的地を目指しました。
大袈裟かも知れませんが、今回のようなちょっとした〝逃避〟は、時を重ねるにつれ癖となり麻薬となり、再犯率の高い過ちとして一緒引きずり、その負債は時には大きなしっぺ返しを食らったり人生を棒に降るような大惨事につながります。
またコドモが知っているルールは生きるために最低限必要で重要なモノが多く、今後知り得る様々なルールの原理原則ともいえるでしょう。
これはおそらく、幼児期の生活や体験が将来の行動や人格形成に影響するというセオリーにもつながり、日頃の生活の中で親から学ぶ社会のルールは「たった一回」でも軽視しない方か良いかも知れません。
今回の内容は私の反省日記です。
心を入れ替え、帯を締め直して頑張ります。